絶体絶命の窮地に立たされた犬を救ったのが神の恩寵であるなら、誰からも愛された人が38歳という若さで逝くのもまた恩寵の顕現であるに違いない。前者のような事例に恩寵を感じ取ってその存在を確信できるならば、後者のような耐え難いことも耐えることができるに違いない。
周りにいる自称キリスト教信者の中で、唯一本物の信仰を持っていると思われる友人M.R.は、次女にグレイスという名前を与えた。おっとりとした長女レイチェルとは対照的に運動選手だった父親の血を受け継いだ活発なグレイスはよく怪我をする。しかし目の前で幼いグレイスが階段を転げ落ちたときも、彼は顔色一つ変えなかった。
万一、グレイスが(あるいは愛する誰かが)神の元へと旅立つことになったとしても、彼は悲しみはするだろうが、決して嘆きはしないだろう。ましてや「なぜ?」という愚問を発することなど絶対にないだろう。M.R.の人生は傍目には決して楽なものには見えない。「とりあえずこの場は丸く収める」という姑息な技を知らないM.R.は、職場でもしばしばトラブルを起こすらしい。しかしそれでもなお、「なぜ?」のない世界に安住しているM.R.は、世界で最も幸福な人間の一人なのである。